Marmalade-bomb




かつて、このヨコハマにて、それは巨きな抗争が勃発した時期があった。
とある異能者の死により所有者不明となった裏金五千億円を巡り、
ポートマフィアを含む関東一円の組織が血で血を洗う大規模抗争を繰り広げた騒乱。
地獄絵図のような悪夢を現実のものとし尽くした裏社会の狂乱は、のちに“龍頭抗争”と呼ばれ、
それでなくとも様々な勢力が複雑に絡まり合う魔都の闇をより深くした。
抗争後のヨコハマにおける曖昧模糊とした危なっかしい安寧を支える術として、
表立って高らかに謳われたそれではないが、
裏社会の暗黒も何するものぞと跳梁していた大立者・夏目漱石と
彼に師事する 心ある者らの間で築かれたのが “三刻構想”という概念で。

  昼を軍警と内務省異能特務課が、夜をポートマフィアが、
  そしてその間の夕刻を武装探偵社が取り仕切り、町の均衡を保つ

それそれ牽制し合うことで魔都の錯綜を看視し合う存在として成り立っている三者だが、
昼の世界と夜の世界、その間の夕刻を取り仕切る薄暮の武装集団には
グレーゾーンを見守る番人なればこそ、
自身のうちに 果断な行動とそれを支える揺るがぬ正義の心も求められるものの。
直近の様々な混乱や修羅場における マフィア組との共闘振りなどを見るにつけ、
型通りの“正義”ではなく、大切なのは誇りと矜持であり、
最善な正解とは模索して得るものという融通の道も残されている、
より広範な代物であるらしき傾向が窺え。
社長である福沢諭吉氏の気心の、頑迷さと裏腹な許容の深さがほの見える。



     ◇◇



あの“龍頭抗争”から、早いもので6年、いやさ、もう7年を数える。
年寄りにはまだそんなものかという歳月だが、
台頭中の若手にはもはや“伝説”扱いかもしれぬ過去であり。
そんなほど有名な騒乱、黒社会を震撼させた壮絶な抗争事件を彷彿とさせるよな、
大規模にして凄惨な有事がヨコハマに降臨したのが、ほんの一昨年のこと。

  のちに三社戦争とまで呼ばれた水面下での前哨戦は、
  各々が保持する異能力者たちが駆り出されての凄惨な殺戮を繰り広げて

ヨコハマ一帯が焦土と化すやもしれぬとされた、北米からの“組合”の襲来は、
だが、結果としてこの港町を愛する2つの組織のさりげなき共闘により難を逃れ。
そこまでの大がかりな企みがあったことなぞほぼ知られぬまま、
大きな“事故”が続いて災難だったがその復興も着々と進み。
旧きものと新しきものが混然と調和する街をこよなく愛す彼らによって、
何も知らない多くの人々は、
ありきたりだがその実、なかなか得難き“平穏”を堪能する日々を満喫しており。
その“安寧”は、例えるなら力まず投げたボールにかかる慣性のようなゆるやかさで
至極自然なそれとして、しばらくほどは続くものと思われてもいた。
具体的に調印なり盟約なりを結んだためしはなかったが、
武装探偵社としてはわざわざ諍いや混迷を招いてどうするかという姿勢でいたし、
大人数を抱える組織でもあるポートマフィア側では、
混乱を避けるための対処として、
探偵社とは停戦状態にある旨を布告する極秘の通達が
下級構成員にまで広められているという。
よって、任務中での思わぬ遭遇に際してはさておき、
日頃の生活範囲の中では余計な緊張を持たぬこと、
過分な衝突もご法度とされ、
幹部格の顔同士が睦まじく過ごして居るのを見かけもするのが、
その盟約の質というか温度というかを
裏打ちしているようなものでもあったのだけれども。

 「ポートマフィア関わりの案件だって?」
 「それが、何と言いますか…微妙なんですよね。」

クラシカルな仕様の窓から差し入る陽を片側の肩に受け、
うなじで束ねられている長い金の髪がつややかに煌めく。
其処だけを見るとなかなかの貴人っぷりだというに、
武人そのものという厳しい表情で軍警からの資料を見つつ尋ねる国木田へ、
谷崎が自分の粗相でもないのに申し訳なさげに眉を下げた。

  今回の依頼は、
  とある組織の出先機関らしき商社の摘発、で

その組織がポートマフィアの末席に名を連ねたとされたのはごくごく最近のこと。
構成員の半分近くが東アジア系の異国からの顔ぶれらしいことくらいしか知られてはなかったが、
そうまで概要が不確かなほどに内情が曖昧だというに、
目に見えてという顕著な様でその名が軍警から流れて来ていたのは、
直近の活動が派手であったからに他ならぬ。
此処、ヨコハマの繁華街や行楽地の夜を制したいか、
小さな暴行事件や車上荒らしが立て続き、
怖いもの知らずな若いのが力を持て余して徒党でも組んだかと思われていたが、
だとすればそれをさりげなく制す立場の“番人”も兼ねているポートマフィアが
こたびは何故かなかなか立ち上がらない。
まさかに公安関係が堂々と当てにしていたわけではないが、
本来そういった組織は地盤の安寧や勢力把握を怠らないのが基本でもあり、
これまでも 日本海を越えて伸してきた半島マフィアや華東系勢力へ
それは素早い対処を示していた前例は枚挙の暇間がなく。
先だっての欧米組織との競り合いでは、探偵社が矢面に立ってた格好になってた関係上、
表向きには我関せずとばかり、沈黙を守っていた彼らだったようだが、
それでもその組合と提携を結びかけていた顔ぶれからの、
八つ当たりめいた逆襲を手際よく叩いていたようだったので、
こたびの騒乱の兆しに動かないとは不審なことよと思われてもおり。
小粒すぎるので相手にならぬと高を括っているものか、
若しくは明らかに一般人への迷惑行為を発揮している筋なので、
それこそ市警や県警、はたまた軍警か武装探偵社が対処にあたる範疇だろと、
それまでの物差しを差し替えでもしたものか 静観の構えを取っているのかも知れぬ。
ただ、

 「連中が一番目に見えて手をつけている悪事というのが、
  性が悪いといいますか…。」

そこへと付け込ませて飛び出して来たところを食いつくという格好、
つまりは 故意の隙にしているのじゃないかと思わすほど、
彼らが今の首領の代では手をつけていないとされているのが “麻薬”という分野であり。
嘆かわしい話だが今時は主婦や学生といった層にまで蔓延しているとされ、
一度でも手を染めたなら、いかな精神力をもってしてもなかなか手を切れないとされる代物で。
流通経路が限られたブツであるがため、
犯罪集団にとって資金集めにこれほどの代物はないかもしれぬが、
同時に街を易々と汚染する諸刃の剣なのも明白。
倦んだ輩が凋落するのは勝手だが、その周辺周囲を巻き込み、
最終的に都市の生産性を抉るようでは最適解とは言えぬ。
表の世界での提携を結んでいる企業のトップもいい顔はしないと来れば、
収拾がつかなくなると判っているよなものへ手を出さぬのが最善と言えて。
そういった合理的な思考から、
ポートマフィアの今代の首領が頑としてかかわらないとしているがため、
そんなこんなで空白となっている分野へ、
浅慮も甚だしく ぐいぐいと悪手を伸ばしている連中でもあって。
大麻や覚醒剤のみならず、危険ドラッグ、LSDと、
若い層へも容赦なく接近しては毒牙にかけていたその行動へ、
さすがに公安も看過は出来ぬと構えたところが、今になってポートマフィアの動きが見えて。

 「というか、公安の手の内を知ったので 先回りにと立ち上がったってところだろうね。」

社が誇る名探偵様も、その辺りは見透かしておいで。
今回のガサ入れ、問題の組織だけを叩くのじゃあなく、
その際に関係筋として遡る格好でマフィアへも探索のメスが入りそうな気配がある。
公安だって馬鹿ではない。
真っ当な正義の心でという建前の下、
自分らの立場や権勢を誇示するための格好の対象になろうと把握し、
こたびの騒ぎを足掛かりとして、
“関係筋”にあたるポートマフィアへも
痛い腹はないかと不調法にも手を突っ込んでやろうという構えであるらしく。
さすがにそうとなってはいたたまれぬとし、
今更のことながら、
県警や軍警より先に殴り込んで一切合切を焼き払おうという算段らしい動きが察知され、

 「我々への依頼は、ポートマフィアの先手を取り、
  表向き 貿易商という看板掲げた其奴らの頭目、
  ヨコハマ支社長の身柄と彼らの活動における収支情報を押さえること。」

軍警も一斉捜索に入る手筈ではあるが、なりふり構わぬマフィアと現場で鉢合わせたとして、
銃を使うにしたって威嚇射撃以上はNGで、しかものちのちには措置への監査が入るほど
段取りの一つ一つに事細かな規定がまとわりつくがため、
柔軟性の皆無な彼らでは 十分な対処がこなせるとは思えない。
それこそが人権を大事にする法治国家ならではなシビリアンコントロールだが、
即断即決が要される 正しく“戦場”へ踏み込むこととなる以上、
それでは迅速な対処がとれぬのも事実であるがため、
そこへと投入されるのが 荒事専任の“武装探偵社”なのであり。
そういった臨機応変の利く対処を執る “特別部隊”として突入を依頼されたのが昨日の話。

 「支社長はこのヨコハマでの手柄を半島の“本店”へ持ち帰って
  それなりの地位を得る算段でいたらしくてね。」

現今の日本で麻薬を取引しようとなれば、
さすがの規制と監視が凄まじいせいで国内では商品を揃えられず、
どうしたって海外の組織との提携が必要だ。
それが出来ないポートマフィアなのだと決めつけて、
田舎者と断じたかそれとも腰抜けと見くびったか、
出し抜いたつもりだったのだろうが、

 「さすがは森さん、立派な大たぬき様だよねぇ。」

実際問題として やってないことであれほどの組織を叩くのは、
今の日本じゃあ残念ながらほぼ不可能だ。
ポートマフィアのお抱え弁護士は途轍もない辣腕たちだし、
でっち上げなんてした日にゃあ、
大昔ならいざ知らず、今時のネット社会じゃあ
あっという間に官憲横暴との非難が捲き起こリ
関係筋のサイトがこぞって炎上するのは目に見えている。

 「でも、公安はポートマフィアも叩けると見越しているのでしょう?」
 「まあね。
  この支社ビルと敷地が、かの “フォレスト・プランニングコーポレイション”名義のそれだからね。」

犯罪行為への盟約なんて書式化するわけにもいかぬが、
盟約を結んだという証、念書代わりとして賃貸契約を結んでいるのかも。
疑えばそういった小さなこととて “とば口”にはなるということか。

「それにしても。」

太宰がふうむと鹿爪らしい顔になって国木田への言を続けたのが、

「こうもはっきり“ポートマフィア”が相手という案件を、
 軍警がウチへすんなり要請してくるのは珍しいねぇ。」

よほどに切羽詰ってない限り、
明らかにポートマフィアがらみの事案が、警察各位から探偵社へ依頼されることはない。
取り掛かってみたらそういう相手だったというケースが大半で、
後はどうにも手詰まりなので…と頼られる格好がほとんどなのであり。
マフィアの側が巧妙で滅多にあからさまな跳梁をしちゃあいない、尻尾を掴ませないからとも取れるものの、

「鮮やかに摘発が適えば世間にも大々的に喧伝できる相手じゃないか。
 そんな事案は自分たちで何とかしたいのだろうに。」

何と言っても今日日のマスコミはなかなかに強腰で、
芸能人のスキャンダルどころじゃあない、
今や内閣府が隠していた交渉文書まで、根掘り葉掘りの取材攻勢にて発掘してしまう凄まじさ。
世論を左右する頼もしき彼らにとって、それは胸が空くだろう大犯罪結社の摘発だなんて、
他の何をおいても食いつくだろうネタであり。

「自分たちでは何とも歯が立たないってのに、
 ウチが片付けちゃったら面子が潰れちゃうでしょうにねぇ?」

なので、これまではよほどに切羽詰らなきゃあウチへ放り投げて来なかったのだろうということらしく。
その点へは、こちらもお流石、ふふと笑ってその通りと深々うなずいて見せた乱歩さんだったが、

「ただ、今回のはちょっと事情が違うみたいだ。」
「??」

前職が前職なだけに、世の暗部へも精通しているはずな太宰が、
世の女性らがそのまま母性をくすぐられて引っ繰り返りそうなくらいに、
それは無垢な素の顔でキョトンとしてしまったほど、思いがけない事情も隠れていたらしく……



 to be continued. (18.04.28.〜)





NEXT


 *長い長い前振りでございましたね。
  いつもながら、事態の下敷きというこの部分には手を焼きますよ。